★医師の適正とは??  
 
★1983年 広島県三原市興生病院院長 藤原恒弘医師が中国新聞に投稿された

文章です。


テレビマスコミでは決して報道されない平成の現代においても未だに

日本の医療界の大きな問題の一つです。

藤原医師の投稿文概略

①1980年代当時から、平成の現代同様、良質な医師不足が医療現場では大きな

問題となっていた。

②良質な医師不足の主な原因の一つに日本の医師選抜制度の欠陥があること。



日本では高卒というあまりにも早すぎる時期に、単に学力さえ良ければ医学部に

入学でき、人格的に医師不適格者が医師になれる問題が解決されていない。

(日本では、アメリカのように、医学部入学受験資格を大卒以上とし、医師としての

資質の中に人格を推し量り、医師としての適性を判断する選抜方法が執られていない。

アメリカでは医学部受験資格として
①大学学長の推薦状 ②宗教指導者の推薦状 ③主治医の推薦状がアメリカでは

必要です。


またアメリカでは文科系学生も医師になれます。

元オクラホマ大学医学部教授 中野次郎著書「誤診列島」より)


③医師の資質として一番大切なのは、人を愛し、患者を家族同様に思う博愛精神と

強靱な肉体と文学的ヒューマニズム。

しかし、日本の現状は、選抜時期と制度の欠陥から医師として不適格者が増えている




以上概略に目を通され


ご興味のある方は下記原文を是非お読みになり参考にしていただき

旧態依然とした密室医療から脱却するため、一日も早く欧米医療先進国並みの

情報公開制度という制度を導入するためにも、

医療後進国日本の汚名を一日も早く晴らすためのワンステップ

足がかり意見として心にとどめていただき、草の根運動の一つに加えていただきたいと

願うばかりです。


原文
良質な医師が不足しているのは厳然たる事実である。若い医師と接していると、

現行の成績さえ良ければその人と人格とは全くかかわりなく、医師となれるところに大きな

問題があることを痛感させられる。

(米国では高卒時に医師としての適性があるかを判断させるのは「酷」と考えられており、

メディカルスクール受験資格として、大学卒業後 

①卒業大学学長 

②神父 

③受験希望者の主治医
以上三者の推薦状が必要となっている。また、文化系大学生の受験資格も
認められている。))



医の本質は弱き者、困った者に救いの手をさしのべることであり、それには手を汚さずに

すますことの出来ないことが多々ある。


感染性疾患、多発外傷の治療などいずれの場合も、患者とのスキンシップ無しに治療を

行うことは不可能である。


最近の医師の中には全てではないが学業成績のみで、本来性格的に医師の適性に

欠ける者が増加しつつあるように思う。

幼少の頃から受験戦争をしいられ、ただ成績向上のみを目指し、親からも教師からも

ほめられることに終始し、ほとんどしかられたこともなく、挫折感もない、

全く社会生活の苦労をしらない者が続々と新医師として送り出されている。

甘い言葉で医局に入局し、そこでもたいしてしかられることなく、患者の前に

一人前の医師として出現したときに問題が発生する。


すなわち、権利は主張する一方、義務を遂行しない世代の代表的存在が医療社会にも

顔を出すことになる。(平成の現代ではそんな医師達で溢れているのでしょうか。)

彼らにとって自分が世界の中心であって、患者は興味ある研究対象に過ぎないのである。

(このことを象徴する事件が、

平成18年東京慈恵医科大学青戸病院 腹腔鏡手術殺人事件。 患者をモルモット
とし腹腔鏡手術の練習台とし殺害してしまった。
3人の医師有罪判決が下ったが、
現在も開業中。
まさにサイコパスによる犯罪だった。

平成27年群馬大学医学部 千葉ガンセンター等で同様の事件が発生。
統計学でハインリッヒのトライアングル的理論(氷山の一角理論)というのを
御存知でしょうか。
「1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、
その背景には300の異状が存在する」
というものです。)


従って、綺麗な仕事、おもしろい仕事だけを選んで、汚い仕事、興味のわかないことは

出来るだけ避けて通ることになる。

一例を挙げれば、待機手術はするが、救急手術はしたくないと言った類である。


科学の進歩による細分化、専門家の波は医療の世界にも深く浸透し、

ともすれば局所のみを見て全身を忘れ、甚だしきに至っては全身は全く見ることが出来ず

局所のみを追求するため、局所が治ったときには全体を失うことになりかねない。

臨床医の適正の根本には、英語や数学が出来ることばかりではなく、

人間を愛し、社会の表裏を理解し、自分の家族同様に患者を診療することのできる資質が

要求されるのである。


従って、医師たるものは、自然科学の理解、応用能力は必要ではあるが


それだけでは
十分ではない。

どちらかと言えば
頑強な肉体と文学的なヒューマニズムを持った人ほど適正があるのではあるまいか。」



1983年 
広島県三原市興生病院院長 藤原恒弘
( )文は医師 小松秀樹氏 中野次郎氏、 医療史 統計学資料から引用したものです。

 
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